2008年 08月 15日
荻窪・・・教会通商店街(2) |
8月15日なので戦争の愚かさと平和の尊さを書こうと思いましたがまとまりません。そこで少し視点を変えて戦前の話を書きます。
荻窪3・4丁目が別荘地として開けたと記しましたが、これは近衛文麿の荻外荘があったことが大きいです。WEBの杉並情報に次の引用があります。
「昭和十二年に、公爵近衛文麿氏が、現在の荻窪二丁目四十三番にある入沢達吉博士邸を買い求められ、元老西園寺公望より荻外荘と名付けていただきました。荻外荘は南斜面の高台にあって、善福寺川河谷を一望に収め、はるかに富士の霊峰を眺める景勝地にあり、大正天皇の侍医であった入沢博士が、大正初年に地主中田村右衛門氏より、松林一町歩を反あたり七00円で買い求めて建てた別荘でした。同年六月に、近衛公が第一次近衛内閣を組織して総理大臣になられてから、荻窪の荻外荘の名が、毎日のように新聞紙上に現れ、荻窪の地名が一躍世に知られました。それとともに荻窪が高級住宅地であるというイメージが拡がりました」 (「杉並風土記」杉並郷土史会昭和52年発行 森泰樹著)
近現代史を専攻していましたので荻外荘の名前は知っていたのですが、それが現在の荻窪3丁目にあること、現存することを知りませんでした。付近の方の話では善福寺川南側にまで敷地は及んでいたということですからかなり広大なものであったことが判ります。
地形は善福寺川に向かって緩やかに下る傾斜地にあります。戦前ですと川沿いの住宅がなかったでしょうし、川も清流でしたからなかなかの景観であったのだと思います。
近衛と荻外荘に関してはこちらを参照ください。
近衛は戦後、極東国際軍事裁判で裁かれることになり、出頭前の1945年12月16日に荻外荘で服毒自殺をしています。GHQに遺体を検死される写真がいちばん目にするものかもしれません。
現在でも荻外荘には近衛の表札がかかっています。敷地の一部は分割されたように見受けられますが接道部の塀や松の古木はそのままです。民間住宅として使用されていますので内部への立入はできません。
荻窪駅南口を出て商店街から善福寺川方面へと足を進めると5分ほどで荻窪3丁目に入りますが、大田黒公園から善福寺川の春日橋付近までを歩かれるとこの一帯の雰囲気が判ると思います。
近衛本邸があった下落合(近衛町)も高台で勾配があり落ち着いたところですが付近に河川がありません。近衛がここを殊の外気に入り、本邸に戻らなかったというのも理解はできます。当時、吉祥寺で少年時代を送っていた私の父親によると善福寺川は清流で魚も多かったとのことです。コンクリートで護岸された現在からは往事の姿を思い浮かべることはできませんが。
なお昨日、荻窪のことを調べていると二・二六事件で皇道派の影響を受けた青年将校らに殺害された渡辺錠太郎(陸軍教育総監)の私邸が上荻窪2丁目にあったと記されていますが、戦前の地図を確認できていません。現在の上荻と一致するのかいずれ確認したいと思います。
写真は教会通商店街の続き。
Rolleiflex 3.5F Planar 75mm・f3.5 400TX
今日の地雷。ブロニカSQ-Ai。これでSQ系は打ち止めで・・・・・・・・きるか?(-_-;) すでにSQが1台、SQ-Aが3台、SQ-Aiはこれで2台。フォルダは無数。ハッセル500系でC、C/M、CXと増殖したのと同じパターンですね。これでBランクなのですが以前に買ったABランクと同程度です。あれはPS80mmが付いていましたが今回の倍くらいしました。程度のよいものが少ないですから使えそうなら即ゲットしましょう(^^)
荻窪3・4丁目が別荘地として開けたと記しましたが、これは近衛文麿の荻外荘があったことが大きいです。WEBの杉並情報に次の引用があります。
「昭和十二年に、公爵近衛文麿氏が、現在の荻窪二丁目四十三番にある入沢達吉博士邸を買い求められ、元老西園寺公望より荻外荘と名付けていただきました。荻外荘は南斜面の高台にあって、善福寺川河谷を一望に収め、はるかに富士の霊峰を眺める景勝地にあり、大正天皇の侍医であった入沢博士が、大正初年に地主中田村右衛門氏より、松林一町歩を反あたり七00円で買い求めて建てた別荘でした。同年六月に、近衛公が第一次近衛内閣を組織して総理大臣になられてから、荻窪の荻外荘の名が、毎日のように新聞紙上に現れ、荻窪の地名が一躍世に知られました。それとともに荻窪が高級住宅地であるというイメージが拡がりました」 (「杉並風土記」杉並郷土史会昭和52年発行 森泰樹著)
近現代史を専攻していましたので荻外荘の名前は知っていたのですが、それが現在の荻窪3丁目にあること、現存することを知りませんでした。付近の方の話では善福寺川南側にまで敷地は及んでいたということですからかなり広大なものであったことが判ります。
地形は善福寺川に向かって緩やかに下る傾斜地にあります。戦前ですと川沿いの住宅がなかったでしょうし、川も清流でしたからなかなかの景観であったのだと思います。
近衛と荻外荘に関してはこちらを参照ください。
近衛は戦後、極東国際軍事裁判で裁かれることになり、出頭前の1945年12月16日に荻外荘で服毒自殺をしています。GHQに遺体を検死される写真がいちばん目にするものかもしれません。
現在でも荻外荘には近衛の表札がかかっています。敷地の一部は分割されたように見受けられますが接道部の塀や松の古木はそのままです。民間住宅として使用されていますので内部への立入はできません。
荻窪駅南口を出て商店街から善福寺川方面へと足を進めると5分ほどで荻窪3丁目に入りますが、大田黒公園から善福寺川の春日橋付近までを歩かれるとこの一帯の雰囲気が判ると思います。
近衛本邸があった下落合(近衛町)も高台で勾配があり落ち着いたところですが付近に河川がありません。近衛がここを殊の外気に入り、本邸に戻らなかったというのも理解はできます。当時、吉祥寺で少年時代を送っていた私の父親によると善福寺川は清流で魚も多かったとのことです。コンクリートで護岸された現在からは往事の姿を思い浮かべることはできませんが。
なお昨日、荻窪のことを調べていると二・二六事件で皇道派の影響を受けた青年将校らに殺害された渡辺錠太郎(陸軍教育総監)の私邸が上荻窪2丁目にあったと記されていますが、戦前の地図を確認できていません。現在の上荻と一致するのかいずれ確認したいと思います。
写真は教会通商店街の続き。
Rolleiflex 3.5F Planar 75mm・f3.5 400TX
今日の地雷。ブロニカSQ-Ai。これでSQ系は打ち止めで・・・・・・・・きるか?(-_-;) すでにSQが1台、SQ-Aが3台、SQ-Aiはこれで2台。フォルダは無数。ハッセル500系でC、C/M、CXと増殖したのと同じパターンですね。これでBランクなのですが以前に買ったABランクと同程度です。あれはPS80mmが付いていましたが今回の倍くらいしました。程度のよいものが少ないですから使えそうなら即ゲットしましょう(^^)
by cucchi3141
| 2008-08-15 10:28