2009年 02月 23日
環状線 |
昨日、都道のことを調べていたのですがなかなか面白かったです。手近なところを取り上げようかと見ていたら環状八号線がありました。正式には東京都道311号環状八号線というようです。環六(山手通)が東京都道317号環状六号線、環七が東京都道318号環状七号線ですから都道としては環八のほうが計画が早かったのでしょう。
環状線に関しては東京都市計画道路として管理されているようで以下があります。
環状第1号線(内堀通り・永代通り・日比谷通り・晴海通り)
環状第2号線(外堀通り・マッカーサー道路・新大橋通り・東京都道483号有明線)
環状第3号線(清澄通り・外苑東通り・環三通り・播磨坂桜並木(環三通り)・言問通り・水戸
街道・三ツ目通り)
環状第4号線(外苑西通り・環四通り・不忍通り・明治通り・丸八通り)
環状第5の1号線(明治通り)
環状第5の2号線(明治通り)
環状第6号線(山手通り)
環状第7号線(環七通り)
環状第8号線(環八通り)
東京湾環状線
外郭環状線の2
このうち環状線の言葉で馴染みがあるのは環七・環八でしょうか。環五・環六よりも明治通・山手通のほうが判りやすい。東京湾環状線などは国道357号線の部分であったりするから判りにくい。
それで環八です。起点は大田区羽田空港三丁目(湾岸道路交点)、終点が北区岩渕町(北本通り交点)、総延長:約44.220kmです。Wikipediaにある沿革が判りやすかったです。
「元々の構想は、旧東京市が1927年(昭和2年)に発表した「大東京道路網計画」に含まれていたものである。当初から現在の東京23区の西側半周のみを結ぶ計画であった。しかし、実際には着工らしい着工はされぬまま、ところどころルート上の既存の道路を「環状道路」に指定した程度で、戦時体制に入って計画は殆ど凍結された。
戦後に入り、改めて都市計画決定されたのは、1946年(昭和21年)3月の「戦災地復興計画方針」に於いてである。しかし、その後も瀬田交差点(世田谷区)を挟む僅かな区間の既存の道路が拡幅された程度で、実際に本格的に着工されたのはそれから10年後の1956年(昭和31年)、着工後も実際の施工は遅々として進まなかった。同時期に構想・計画された環七通りが産業道路や東京オリンピック関連工事とされて速やかに着工されたのに比べると、当時の沿線は未だ高速道路はおろか多摩川を渡る橋さえも少なく、交通需要が小さかったため後回しとされたのである。
1965年(昭和40年)に第三京浜道路が開通し、瀬田交差点から玉川ICまで(何れも世田谷区)が重複区間とされた頃から、沿線が急速に住宅地化されて自家用車が普及し交通需要が急増した。更に、以降次々に開通する東名高速道路(1968年(昭和43年))、中央自動車道(1976年(昭和51年))、東京川越道路(1971年(昭和46年)、後の関越自動車道)の各起点を、渋滞が激しく線形も悪い首都高速道路に代わって短絡するルートとなり、大型車をはじめとする通過需要も加わったため整備が急がれることになった。しかし、もはや過密化した土地利用と急上昇した地価に対して用地取得は一向に進まず、一部を建設費や工期のかさむ地下ルートとせざるを得なくなるなど、全線開通は遅れに遅れることとなった。
最後まで残ったのは練馬区の井荻トンネルから目白通りまでと、練馬区の川越街道から板橋区の環八高速下交差点(首都高速道路5号池袋線との交差場所)までの区間である。2006年(平成18年)5月28日にようやく供用が開始された。全線開通は最初の構想から実に80年近く、戦後の正式な計画決定からも60年かかったことになる。全線開通記念式典で東京都知事の石原慎太郎は「(本格着工から)50年かかった」と発言している。この間の総工費はおよそ五千億円であったと言われる」
たしかに井荻トンネルの工事は2年ほど前まで行われていました。当時、甲州街道から入って川越街道まで抜けようとするときに井荻トンネル付近の渋滞が嫌で迂回していたことを覚えています。構想から80年、着工から50年かかって全線開通したのですからよく計画が持ち堪えたものです。全線開通で至便になったかというと・・・(笑) 同じところで渋滞の原因が指摘されています。
・東名・中央・関越・第三京浜利用者が通らざるを得ない。
・南北幹線道路が環七・環八通りのみである。
・交通量に対する絶対的な容量不足。
・都外・都心へ向かう道路も渋滞している。
・裏道(抜け道が)がない。
この部分は解説をお読みいただくとよく理解できます。なるほどと(笑) 実際に通行車のナンバーは広域です。他県ナンバーを見るとどこで曲がるのかおおよそ見当がつきます。高速間の通過点として機能しているのが大きいですね。かつ杉並区や世田谷区は交通規制が多いところですし幅員が狭いところが顕著ですから環八渋滞時の迂回路が判りにくい。昨年に溝の口教会まで通っていたときには車ですと1時間はかかりました。自転車ですと50分で行けましたからね。しかし何とかならないのでしょうか・・・あと50年かかるか?(笑)
Eos 5D MarkII + EF50mm・f1.2L
環状線に関しては東京都市計画道路として管理されているようで以下があります。
環状第1号線(内堀通り・永代通り・日比谷通り・晴海通り)
環状第2号線(外堀通り・マッカーサー道路・新大橋通り・東京都道483号有明線)
環状第3号線(清澄通り・外苑東通り・環三通り・播磨坂桜並木(環三通り)・言問通り・水戸
街道・三ツ目通り)
環状第4号線(外苑西通り・環四通り・不忍通り・明治通り・丸八通り)
環状第5の1号線(明治通り)
環状第5の2号線(明治通り)
環状第6号線(山手通り)
環状第7号線(環七通り)
環状第8号線(環八通り)
東京湾環状線
外郭環状線の2
このうち環状線の言葉で馴染みがあるのは環七・環八でしょうか。環五・環六よりも明治通・山手通のほうが判りやすい。東京湾環状線などは国道357号線の部分であったりするから判りにくい。
それで環八です。起点は大田区羽田空港三丁目(湾岸道路交点)、終点が北区岩渕町(北本通り交点)、総延長:約44.220kmです。Wikipediaにある沿革が判りやすかったです。
「元々の構想は、旧東京市が1927年(昭和2年)に発表した「大東京道路網計画」に含まれていたものである。当初から現在の東京23区の西側半周のみを結ぶ計画であった。しかし、実際には着工らしい着工はされぬまま、ところどころルート上の既存の道路を「環状道路」に指定した程度で、戦時体制に入って計画は殆ど凍結された。
戦後に入り、改めて都市計画決定されたのは、1946年(昭和21年)3月の「戦災地復興計画方針」に於いてである。しかし、その後も瀬田交差点(世田谷区)を挟む僅かな区間の既存の道路が拡幅された程度で、実際に本格的に着工されたのはそれから10年後の1956年(昭和31年)、着工後も実際の施工は遅々として進まなかった。同時期に構想・計画された環七通りが産業道路や東京オリンピック関連工事とされて速やかに着工されたのに比べると、当時の沿線は未だ高速道路はおろか多摩川を渡る橋さえも少なく、交通需要が小さかったため後回しとされたのである。
1965年(昭和40年)に第三京浜道路が開通し、瀬田交差点から玉川ICまで(何れも世田谷区)が重複区間とされた頃から、沿線が急速に住宅地化されて自家用車が普及し交通需要が急増した。更に、以降次々に開通する東名高速道路(1968年(昭和43年))、中央自動車道(1976年(昭和51年))、東京川越道路(1971年(昭和46年)、後の関越自動車道)の各起点を、渋滞が激しく線形も悪い首都高速道路に代わって短絡するルートとなり、大型車をはじめとする通過需要も加わったため整備が急がれることになった。しかし、もはや過密化した土地利用と急上昇した地価に対して用地取得は一向に進まず、一部を建設費や工期のかさむ地下ルートとせざるを得なくなるなど、全線開通は遅れに遅れることとなった。
最後まで残ったのは練馬区の井荻トンネルから目白通りまでと、練馬区の川越街道から板橋区の環八高速下交差点(首都高速道路5号池袋線との交差場所)までの区間である。2006年(平成18年)5月28日にようやく供用が開始された。全線開通は最初の構想から実に80年近く、戦後の正式な計画決定からも60年かかったことになる。全線開通記念式典で東京都知事の石原慎太郎は「(本格着工から)50年かかった」と発言している。この間の総工費はおよそ五千億円であったと言われる」
たしかに井荻トンネルの工事は2年ほど前まで行われていました。当時、甲州街道から入って川越街道まで抜けようとするときに井荻トンネル付近の渋滞が嫌で迂回していたことを覚えています。構想から80年、着工から50年かかって全線開通したのですからよく計画が持ち堪えたものです。全線開通で至便になったかというと・・・(笑) 同じところで渋滞の原因が指摘されています。
・東名・中央・関越・第三京浜利用者が通らざるを得ない。
・南北幹線道路が環七・環八通りのみである。
・交通量に対する絶対的な容量不足。
・都外・都心へ向かう道路も渋滞している。
・裏道(抜け道が)がない。
この部分は解説をお読みいただくとよく理解できます。なるほどと(笑) 実際に通行車のナンバーは広域です。他県ナンバーを見るとどこで曲がるのかおおよそ見当がつきます。高速間の通過点として機能しているのが大きいですね。かつ杉並区や世田谷区は交通規制が多いところですし幅員が狭いところが顕著ですから環八渋滞時の迂回路が判りにくい。昨年に溝の口教会まで通っていたときには車ですと1時間はかかりました。自転車ですと50分で行けましたからね。しかし何とかならないのでしょうか・・・あと50年かかるか?(笑)
Eos 5D MarkII + EF50mm・f1.2L
by cucchi3141
| 2009-02-23 10:56
| Eos 5D MarkII