2007年 05月 28日
元町公園(1) |
元町公園と言っても横浜のものではなくて、文京区本郷1丁目にある公園です。
JR水道橋駅をお茶の水寄りの出口から出て、白山通りを越えて外堀通りをお茶の水方向に少し行ったところにあります。
この公園は昭和5年につくられたものです。
関東大震災・復興公園として当時東京市内に52箇所設置された公園の一つで、「防災と罹災者救護に大きな可能性を示した公園の数を増やし、同時に、近所の子供たちが遊び・学ぶ場所として公園を小学校に隣接させる新しいアイディアを実現させたもの」とのことです(元町公園・ぱぱっと会議活動日記)
都市再開発が進む中でほとんどの公園・小学校が姿を消し、元町公園は当時の姿をいまでも残す唯一の公園となりました。
ここに文京区は体育館建設を計画していて、公園の移転計画があることを『週刊文春』5月17日号で知りました。
区の方針に対して区都市計画審議会は昨年12月に判断を保留し「景観審議会や文化財保護審議会にも意見を聴くべき」(『朝日新聞』2007年3月17日東京版)としたようで結論は出ていません。
なぜこの公園のことを取り上げるかといいますと、私は20代の約10年間をこの公園のすぐそばで過ごしているからです。
学生時代のアルバイト先、そして就職した出版社がすぐそばにありました。
この公園で花見をしたり、考え事をしたり、休んだり・・・思い出深い公園なのです。
一見、どこにでもある普通の公園ですし、だからこそ地元の方からはいつもそこにある公園として、生活から切り離せない存在として位置していると思います。
ましてや貴重な文化財であるのですから、移転計画(事実上の解体)など考えられないですね。
そこで1週間前の月曜日、教会に行く前に立ち寄ってみました。
部分的に改修されたところはありますが、カスケードやパーゴラなどは昔のままでそこにありました。
花見をした桜の樹もそのままに、むしろ30年近く経ったいまは木陰が増えた印象でした。
地元の各団体が保存運動を行われていますが、このまま残ってもらいたいですね。
ローライフレックス 2.8F プラナー 80mm・f2.8 400TMY
水道橋から歩いてくると、この意匠がまず目につきます。
外堀通り沿いの壁面。
公園南側入口。モダニズムの意匠。
右側の階段上から眺める。
南側入口の壁面。
JR水道橋駅をお茶の水寄りの出口から出て、白山通りを越えて外堀通りをお茶の水方向に少し行ったところにあります。
この公園は昭和5年につくられたものです。
関東大震災・復興公園として当時東京市内に52箇所設置された公園の一つで、「防災と罹災者救護に大きな可能性を示した公園の数を増やし、同時に、近所の子供たちが遊び・学ぶ場所として公園を小学校に隣接させる新しいアイディアを実現させたもの」とのことです(元町公園・ぱぱっと会議活動日記)
都市再開発が進む中でほとんどの公園・小学校が姿を消し、元町公園は当時の姿をいまでも残す唯一の公園となりました。
ここに文京区は体育館建設を計画していて、公園の移転計画があることを『週刊文春』5月17日号で知りました。
区の方針に対して区都市計画審議会は昨年12月に判断を保留し「景観審議会や文化財保護審議会にも意見を聴くべき」(『朝日新聞』2007年3月17日東京版)としたようで結論は出ていません。
なぜこの公園のことを取り上げるかといいますと、私は20代の約10年間をこの公園のすぐそばで過ごしているからです。
学生時代のアルバイト先、そして就職した出版社がすぐそばにありました。
この公園で花見をしたり、考え事をしたり、休んだり・・・思い出深い公園なのです。
一見、どこにでもある普通の公園ですし、だからこそ地元の方からはいつもそこにある公園として、生活から切り離せない存在として位置していると思います。
ましてや貴重な文化財であるのですから、移転計画(事実上の解体)など考えられないですね。
そこで1週間前の月曜日、教会に行く前に立ち寄ってみました。
部分的に改修されたところはありますが、カスケードやパーゴラなどは昔のままでそこにありました。
花見をした桜の樹もそのままに、むしろ30年近く経ったいまは木陰が増えた印象でした。
地元の各団体が保存運動を行われていますが、このまま残ってもらいたいですね。
ローライフレックス 2.8F プラナー 80mm・f2.8 400TMY
水道橋から歩いてくると、この意匠がまず目につきます。
外堀通り沿いの壁面。
公園南側入口。モダニズムの意匠。
右側の階段上から眺める。
南側入口の壁面。
by cucchi3141
| 2007-05-28 08:35
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