2008年 11月 03日
CF Distagon T* 60mm・f3.5 (2) |
唸っています。ドスンときました。
秋吉敏子『渡米50周年記念日本公演』(ティートックレコーズ)
穐吉敏子=ルー・タバキンビッグバンドは同時代で『孤軍』(1974年)~『インサイツ』(1976年)を熱心に聴いていました。ちょうど穐吉さんがビッグ・バンドでの活動を始めた頃で、『孤軍』は実にインパクトのある作品でした。たしか『インサイツ』が発表された後のコンサートが中野サンプラザであり、これには足を運んでいます。『インサイツ』での水俣病を主題にした「ミナマタ:平和な村~繁栄とその結果~終章」は圧巻でした。
この『渡米50周年記念日本公演』では「ロング・イエロー・ロード」「孤軍」「すみ絵」が凄いです。胸を打ちます。
WEBからの再引用ですが『インサイツ』のライナー・ノーツにはご自身でこう書かれているようです。
「音楽家である前に、社会の中の人間の一人である私は、私たちの存在している社会状態に無関心ではいられない。・・・個人の意志とは関わりなく、巨大な歯車の動きの為に、個々がそのあずかりしらぬ被害をこうむるような出来事には、胸がとても痛む。三年近い前にグアム島で見つかった人間の一番大切な時期を30年も失った小野田氏に対しても、同じ意味で胸が痛んだ。
私たち音楽家が無力で、社会機構を変える事は出来ない。と同時に、日本のみならず世界に存在している、公害病をもたらすような社会状態を無視することはできない。日本から離れて私は、数年前始めて水俣市周辺に起こった大悲惨事を知ったが、これを忘れてはならぬ、という感を・・・払う事が出来なかった。
私という無力な一音楽家に出来ることは、その事を記録して残す事である。長い間かかって、私の温床から出来上がった音楽、「ミナマタ」は、ジャズ音楽家であるが故に、ジャズ音楽語を通じて綴った社会記録である。この作品は、私個人にとって、技術的な理由で、一つの壁に穴をあけた意味があるが、聴いて下さる方達にとっては、あくまでも、心から入って行く音楽になっていれば、私の目的は十二分に達したことになる」
無力でありながらも為すべきことがあるのを判っておいでですね。
無力でありながらも一音楽家としてやることは何か・・・それを作品として見事に表現しています。心に響きました。
おそらく当時私はこのライナー・ノーツを読んでいるはずですが、無力の意味をまるで判っていませんでした。30年経ってやっと音楽が理解できるようになったのかもしれません。
You Tubeにあった演奏。クァルテットでの演奏はよりスピリチュアリティが高いものです。
写真はCF Distagon 60mmの続き。井の頭公園です。
Hasselblad 500C/M + CF Distagon T* 60mm・f3.5 400NC-3
引いたシーンでもf8だったと思います。アンダー目を承知でf11まで絞ってよかったかもしれません。
穐吉敏子=ルー・タバキンビッグバンドは同時代で『孤軍』(1974年)~『インサイツ』(1976年)を熱心に聴いていました。ちょうど穐吉さんがビッグ・バンドでの活動を始めた頃で、『孤軍』は実にインパクトのある作品でした。たしか『インサイツ』が発表された後のコンサートが中野サンプラザであり、これには足を運んでいます。『インサイツ』での水俣病を主題にした「ミナマタ:平和な村~繁栄とその結果~終章」は圧巻でした。
この『渡米50周年記念日本公演』では「ロング・イエロー・ロード」「孤軍」「すみ絵」が凄いです。胸を打ちます。
WEBからの再引用ですが『インサイツ』のライナー・ノーツにはご自身でこう書かれているようです。
「音楽家である前に、社会の中の人間の一人である私は、私たちの存在している社会状態に無関心ではいられない。・・・個人の意志とは関わりなく、巨大な歯車の動きの為に、個々がそのあずかりしらぬ被害をこうむるような出来事には、胸がとても痛む。三年近い前にグアム島で見つかった人間の一番大切な時期を30年も失った小野田氏に対しても、同じ意味で胸が痛んだ。
私たち音楽家が無力で、社会機構を変える事は出来ない。と同時に、日本のみならず世界に存在している、公害病をもたらすような社会状態を無視することはできない。日本から離れて私は、数年前始めて水俣市周辺に起こった大悲惨事を知ったが、これを忘れてはならぬ、という感を・・・払う事が出来なかった。
私という無力な一音楽家に出来ることは、その事を記録して残す事である。長い間かかって、私の温床から出来上がった音楽、「ミナマタ」は、ジャズ音楽家であるが故に、ジャズ音楽語を通じて綴った社会記録である。この作品は、私個人にとって、技術的な理由で、一つの壁に穴をあけた意味があるが、聴いて下さる方達にとっては、あくまでも、心から入って行く音楽になっていれば、私の目的は十二分に達したことになる」
無力でありながらも為すべきことがあるのを判っておいでですね。
無力でありながらも一音楽家としてやることは何か・・・それを作品として見事に表現しています。心に響きました。
おそらく当時私はこのライナー・ノーツを読んでいるはずですが、無力の意味をまるで判っていませんでした。30年経ってやっと音楽が理解できるようになったのかもしれません。
You Tubeにあった演奏。クァルテットでの演奏はよりスピリチュアリティが高いものです。
写真はCF Distagon 60mmの続き。井の頭公園です。
Hasselblad 500C/M + CF Distagon T* 60mm・f3.5 400NC-3
引いたシーンでもf8だったと思います。アンダー目を承知でf11まで絞ってよかったかもしれません。
by cucchi3141
| 2008-11-03 16:04
| Hasselblad